PARAT本社がある梅田、昔は湿地帯を
埋め立てて田畑を開拓したことから
「埋田:うめた」と呼ばれ、近くの神社に
咲く梅から「梅田」表記となった。
森元首相から「大阪はタン壺」と言われた大阪、
300年経った梅田はウメキタと呼ばれ、
次々駅前開発され、森に囲まれた最先端都市と
生まれ変わり、ビジネスマンや国内外からの
観光客で溢れかえっている、まさに戦後が
終わりをつげ新しい時代を迎える大阪と
変身しつつある。
利便性が高いウメキタに人が集まり、
近郊からの人口流入も多くみられ、
タワマンが少ない神戸は人口現象に悩むが
新参者(しんざんもの)にとって大阪の様な
活気はないが心落ち着くいい街である。
数多くの昭和歌謡曲の作詞を手掛けた
松本隆は東京から芦屋に移住し、神戸界隈で
雑誌のコラムに寄稿し、コンサートに顔出し、
喫茶店巡りで晴耕雨読な余生を過ごしている。
大阪の活気から身を遠ざけるために御影に
事務所を構えた。
瀬戸内の海の幸、神戸近郊農園や淡路から
の新鮮野菜、神戸牛や但馬牛も灘五郷の
数々の銘酒の名脇役として一日の疲れを
身近に癒してくれている。
長き時代に渡り最前線経営者として悪戦苦闘
してきた者として辿り着いたいい環境に乾杯。
<人は環境に大きく左右される TOYOTAに出会い>
鉄工所の息子が、TOYOTA向けの仕事をいた
だき40年、モノづくり人としていい環境で
仕事させてもらったと感謝している。
