自動車部品のメガサプライヤーの生産技術に携わる理事や
役職者3人と名古屋で懇談会を開いた。自動車業界は
常に次世代のために雲の上を眺めながらチャレンジ
を続けている、品質優先の元、納期必達が至上命令
という世界に身を置く生産技術者達が名古屋に集った。
炎上話は山ほどあるが、今回は喫緊(きつきゅう)の
課題でなく「ぱらっといきまひょ」がテーマ。
「JUNちゃんと連絡取ろうとしてるんですが、音信不
通なんですが」とKEISUKEさん。
「2年前に、突然のメールに反応し、大阪でお会いし
ましたが、私も現在、JUNちゃんとは音信不通」
と四方山話をした翌週にガラケーがSMS振動を発する。
「11日大阪の美味しい物のリコメンドと同行をお願
いします。」
「おせん泣かすな馬肥やせ」的な分かりやすき文面。
「喜んで」とJUNちゃんにオウム返し。
まさに「呼ぶより謗(そし)れ」、
友、宇宙のかなたより再び来る。
出会いは一期一会、胸襟を開き腹蔵なく語り合うには40年近い
紡がれるモノがあるからである。JUNちゃん、KEISUKEさん
とは燃料系部品の合理化設備案件で出会った。
JUNちゃんは60歳で早々と退職、KEISUKEさんは理事
に昇進、グローバルに後進の指導に当たっている。
7年前には「自動車業界向けにREAL ZERO工法セミナー」
を名古屋笹島のホテルで開催した、その際にお二人とも
スピーカとして壇上に立ってもらった。
突然、宇宙の彼方からやってくるJUNちゃんかな。
2年前の冬「伊丹からハワイへ行きます。太陽の塔を見
たいのですが空いていますか」とのメッセージ受信。
1970年大阪万博の会場で久しぶりに岡本太郎のレガシーと
ご対面し、余った時間でコスパのいい大阪らしい
大阪駅ガード下にある新梅田食堂街にご案内。
L字カウンターのコーナに陣取って近況情報を交換する。
米人と結婚したJUNちゃんには二人の娘さんがいる。
駐在先のインド、フィリピンと帯同した家族は、現在
米国在住。JUNちゃんは岡崎市で雨露を凌ぎ、
山に登ったり、ラジコンヘリコプター操縦三昧。
JUNちゃんは5つ位い年下であるが現役最前線から
いち早くワープしたWILLを興味深く見守っていた。
「中さんGIVE UPしましょう」
「お父さんNHKばかり見ないで」
「このネオン売りに出されたら買ってネ」
「お父さんは首怪我が治っていないのにエベレストへ
は凄かった」
「あの時にハワイの土地買っておれば」
ホームグランドである大阪ミナミをご案内、
グローバルな土壌で育ったシスター達との会話は
刺激的でオモロイ。
JUNちゃん担当案件の現地現物確認するために、部長
と課長が来社。なんとその日に1985年阪神が優勝、
道頓堀のお店から人とカーネルがダイブするのを見た日から
38年後、またもや阪神が優勝、狂喜乱舞。
<次週に続く>